レゲエの神様、ボブ・マーリーーー!!!
本日はこちらの楽譜をご紹介★
ボブ・マーリーは、ジャマイカのスーパーヒーロー、レゲエミュージシャン。
ラスタファリ運動の思想を背景としていて、彼の音楽と思想は数多くの人々に多大な影響を与えました。
名前は聞いたことあるけれど、音楽もよく耳にするけれど、ボブ・マーリーっていったいどんな人?!?!
という方も多いと思うので、ここで少し彼の紹介をしますね \(^o^)/
1945年2月6日
ジャマイカ、セント・アン教区のナインマイルズにて、白人のイギリス海軍大尉であったノーヴァル・マーリーと、ジャマイカ人のセデラ・ブッカー との間に生まれます。
本名は、ロバート・ネスタ・マーリー。
当時、父親は61歳、母親は18歳だったとのこと。。!
両親はボブの誕生後にすぐに破局、父親は首都キングストンで、ボブは母親とその家族と共にナイン・マイルズで幼少期を過ごしました。
ボブが10歳のときに父親が亡くなり、母親はボブを連れて職を求めてキングストン郊外のスラムに移り住みます。
周囲の黒人とは異なる容姿から「ドイツ人」というあだ名がつき、それを嫌って靴墨で顔を塗ることもあったそうです。
ここでバニー・ウェイラーと共に音楽活動を開始し、1959年、14歳のときには音楽に専念するため学校を中退。
21歳、トレンチタウンに在住している頃、ジョー・ヒッグスに音楽的薫陶とラスタファリ運動の教えを受けました。
1962年、レスリー・コンのビバリーズ・レーベルから「One Cup of Coffee」、「Judge Not」を発表しプロとしてデビュー!
1963年、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーとのトリオで「ウェイラーズ」を結成し活動を開始します。
その後活動を続け、1976年12月、ジャマイカの総選挙の際にキングストンの自宅で5人組の狙撃者たちに狙撃され重傷を負い、バハマ、イギリス、アメリカへと移り住む亡命生活を余儀なくされます。
1978年、ジャマイカに舞い戻り、4月22日にキングストンで「ワンラブ・ピース・コンサート」に出演。
ボブの一番の偉業は、何と言ってもこの「One Love Peace Concert」(1978年4月22日)。この時、コンサートを見に来ていた敵対する二大政党の両党首をステージに呼んで握手をさせました。ちなみに、その党とは、「人民国家党 」と「ジャマイカ労働党」の超反対意見の政党の2党。今で言うならば、「韓国」と「北朝鮮」、あるいは「アメリカ」と「イラン」かもしれません。その二大リーダーを、音楽をもって動かした・・・「音楽で政治をも動かした」・・・これが、ボブの一番すごい偉業だと思えます!
7月21日、妻となるシンディ・ブレイクスピアとの間に、息子ダミアン・マーリーが生まれます。
1979年には、4月から日本、オーストラリア、ニュージーランドで公演を行い、エチオピアも訪問。
1980年にはアフリカを訪問し、西アフリカ、カンボジアの大統領の誕生日パーティーで演奏をするなど、伝説を多く残しました。
1981年、脳腫瘍と癌の肺への転移によりアメリカ・フロリダ州の病院で妻と母に見届けられ、死去。
36歳という若さでした。
レゲエの神様、魂の反逆者、叫ぶ平和の使者と称され、現在でも世界中で愛され続けるボブ・マーリー。
レゲエというフォーマットを洗練させ、ポップミュージックの1ジャンルとして定着させたのは彼の功績でしょう。
レゲエに馴染みのない人にも、十分に楽しく心地良く染みわたり、心に何か大切なものを残す音楽であることに気付かされます。
弊社では、そんなボブ・マーリーの楽譜を数多く扱っています。
一見シンプルなギターラインも、実はアイデアの宝庫 …!
彼の残した数々の伝説の作品を演奏してみましょう★
GTP291:ボブ・マーリー・レジェンド(タブ譜付き)《輸入ギター楽譜》
GTP316:ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ/ワン・ラブ(タブ譜付き)《輸入ギター楽譜》
ギター譜の他にも、ピアノ、ドラム、合唱 … 多くの編成の楽譜をご用意しています。
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なんと!!
弊社の社長は、かつてジャマイカに住んでいた経験があるのです!羨ましいっ!!
以下、弊社社長より…*
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私の神様を紹介します。Bobです。そのBobの楽譜です。
私が若い頃キングストーンに住んでいた頃、毎朝遠くの方から聞こえるニワトリの声、
それとBob Marleyの音楽と共に起きていたことを鮮明に想い出します。
横に住んでたJessica、元気かなー??
ワン・ラヴ!! ジャーラスタファーラーイ!!
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